エッセイ

友人について思うこと。みんなには助けてもらってばかりです。

 ありがたいもので仲良くしていただいている友人が何人かいて、子供の頃からの友人だったり最近親しくなった方もいます。大人になってからは本当の友人はできにくいなんて事も聞きますが、そんなことはないみたいです。何をもって本当の友人かは置いといて。

 顔見知り、知り合い、知人、友人、親友、どうなったらランクアップしていくのかの基準は人それぞれだと思うけど、友人のあたりから自分と相手ではお互い共通ではない場合もありそうです。

 大人になると少なからず上下関係等がある仕事上の付き合いでしか会わなかったりして、学校の様な利害関係のない時間を共にする必然の機会が減って来てしまうのもそう言われる理由なんでしょう。

 今ぼくが友人と思っている方達とそうとは思えない方達とどんな点が違うかというと、自分が心を開いて話ができる人が友人なんだと思います。

 大人になっても同じ時間を長く過ごすことがあるとやっぱりその人との距離は縮まります。たまに第一印象から警戒心を持ってしまい、かたくなな気持ちで接してしまうのですが、それでは折角の縁がもったいないですね。

 自分だけの力では、なかなか上手くいかないことも友人と一緒にいるだけでスムーズにコトが進むこともあります。話を聞いてもらったり、協力してもらったり、お願い事をしたり、いつも助けてもらっている方達には、ホント頭が上がりません。そう思うと性格的な点も含めて自分に足りないところを補ってもらってるのかもしれません。

 随分前に気が許せる事をどうして「気が置けない」っていうのか不思議に思ったことがありました。「気が置けない」仲間って初めて聞くと、自分の気持ちを相手に置けないから、気遣いしてしまう相手じゃないのって考えたことがありました。その時は辞書で調べる訳でもなく意味だけ覚えて、当時何かにつけてちょっと難しい言葉を使っている自分に気持ちよく感じていた時期があったのを思い出して、今なんとなく気恥ずかしくなりました。

 どうして「気が置けない」が「気を遣う必要がない」という意味なのかは、ご自身でお調べ下さいね。今更ながら、なるほどなぁって思ってしまいます。

 あまり文学的なことは詳しくないのですが、室生犀星の詩に「ふるさとは遠きにありて思ふもの」っていうフレーズがあるのを何故か勘違いして「友人は遠きにありて思ふもの」と思っていた時期もありました。これまた気恥ずかしい。でも、自分の中では、遠方にいる親友とは日頃会えなくても、再会した時には昔と全く変わらずに接することができるという意味のことわざみたいに思っていたんです。勘違いですが、あながち間違ってないかなとも思います。

 友人について考えると自分なりに友人の定義付けでもするのかと思ったら、また違う方へ話が飛んでいってしまいました。友人については、かけがえのない存在の方が多いので、また続きを書くと思います。

肩を並べて勉強していた頃が懐かしい。

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