仕事をしていても、家庭で過ごしていても、人と触れ合わずに生きていくことは、なかなかできません。
自分勝手に生きることは、いいか悪いかは別としてかなり難しいのですが、やはり人と人との繋がりを大切にして生きた方が、より充実した人生になるのだと思います。
ただ、普通に生活をしているだけでも、落ち込んだり、喜んだりと様々なできごとに対して反応し、生きています。
自分で自分を奮い立たせることも大切ですが、時には人から力をもらって頑張れる時もけっこうあります。
意気に感じる
僕の好きな言葉に「意気に感じる」という言葉があります。
- 人のやる気や熱意に触発されて、こちらもその気持ちや気配に同調する。
- 相手の何かをしようとする心持ちに、自分も何かをしようという気になる。
調べてみると、こういった意味を持つ言葉です。
どうやらその語源は、唐時代の詩選集第一巻にある「魏徴作述懐」から引用された語句の様です。
その本文には、「人生意気に感ず、功名誰か復た論ぜん」とあります。
苦労に苦労を重ねた結果、志をとげて功労のあった魏徴が感想をうたった詩の一節です。
「功名誰か論ぜん」とは、「成功して名を上げるとか、失敗して敗残の身になってしまうとか、そのようなことは全然眼中になく、論外である」という意味で、相手の心意気に感激して、金や成功といったことに関係なく物事に取り組む様を表しています。
誰も特別な人間ではない
また、「意気」という単語は、他にも使われ方があります。
- 「意気投合」
- 「意気消沈」
- 「意気があがらない」
どれも「意気」に、気分が高揚して意欲が強い、ひたむきな様子を表しています。
人間である以上、四六時中、立派に頑張れる訳ではありません。
何かことを為すには、エネルギーが必要ですが、それを全部自分の中から出せる人は、普通の人間ではないと思います。
そして、誰も特別な人間ではありません。
人との関係性の上に社会が成り立つ
誰かが頑張っている姿を見て、あの人のためにも頑張ろうと心を揺り動かされることは、長い人生では珍しいことではありません。
相手の努力を認めて、こちらも相手の助けになろうとするからこそ、社会が成り立っているのだと思います。
相手のことを心から思いやり、真剣に向き合うことで、互いの成長に繋がります。
この言葉の意味を掘り下げていくと、自分勝手な考え方や行動が自ずとできなくなります。
そんなマネをしようとする発想さえ、出て来なくなるのです。
今の若者には感動がない?
現在は、一昔前より若者にクールで感動がない、といった傾向があると聞きます。
〇〇離れという言葉もその一例でしょうか。
その批評をそのまま鵜呑みにするわけにはいきませんが、きっと論理的にものごとを分析してしまうので、感情の前に先を読み切ってしまっているからかもしれません。
若者言葉に「エモい」という言葉があります。
なんとも言い表せない、素敵な気持ちになったときに使う、スラングです。
感情が揺さぶられたときや、予想もしていない感動をした時に、使われているようです。
この言葉が使われていること自体が、暗に今の若者が、意気に感じる心を失っていないことを、表わしているように思います。
活躍するべきは若い世代
そして、実際の社会を見るとどうでしょうか?
IT化の波が押し寄せてからしばらく経ちます。
AIの浸透により今後の社会や実生活が激変していくことも予想されています。
その中で、ベンチャービジネスを立ち上げて活躍しているのは、若者が中心になっています。
決して、見た目に見えるほどの情熱を失っているわけではなく、きっと互いに意気に感じる心があるからこそ、活躍している様子を見て取れているはずです。
他者への立ち振る舞い
誰しも、自分の立ち位置から、誰かを指導する必要性が、時折訪れます。
その時、自分にできないことを相手に求めてはいけない。
と、つい考えがちです。
しかし、それは、相手より自分のことを優先している考え方かもしれません。
なぜならば、そのようなスタンスでは、相手が今の自分以上に成長することが、起こりえないからです。
適切ではない場面もありますが、自分にできないことを相手に求めて成長させることが、努めである時もあります。
その立場は、上司の場合、親の場合、友人同僚での場合もあるでしょう。
意気に感じた尊い相手に対しては、互いを凌ぐような関係性を保ちたいと思います。
青は藍より出でて藍よりも青し
「青は藍より出でて藍よりも青し」
弟子が師を凌ぐほどに成長を遂げることを表した荀子の言葉です。
青は藍より出でて藍よりも青し
「藍」とは、染料に使う藍草のことで、藍草で染めた布は藍草よりも鮮やかな青色となる。
その関係を弟子と師匠にあてはめて、弟子が師匠の学識や技術を越えるという意のことわざ。
相手のことを思いやって厳しくすることは、自分に取って心地いいものではありません。
しかし、意気に感じた相手には、師弟関係ではなくとも、自ら「出藍の誉れ」になれるよう接していきたいと思います。
その為にも「意気に感じる」、この心と言葉を常に自分の軸に置いて、何ごとにも取り組もうと考えています。