「人生100年時代」と言われる時代になって来ました。もしもの時に備えた、いわゆる「終活」をする人も多くなっています。
それでも、人はいつか亡くなります。
その時相続が開始されます。
「縁起でもない」と言われるかもしれませんが、残される者の為に準備をしておくことは大切です。
準備万端にしておくことは難しいかもしれませんが、それでも「何も準備していなかったので、どうすればよいか分からない」という事態は、なるべく避けたいものです。
亡くなった時の財産の分け方や名義変更といった、具体的な方法も大切ですが、今回から、実生活には必要ないかもしれないけど、知っておくと役に立つそんな相続の豆知識をお伝えしていきます。
相続って何?
相続という制度は、「人はいつか必ず死ぬので、その財産をどうするか」という必要性に、法律が応え、財産を持っていた人の次の世代に受け継がせることにしたルールです。
つまり、あの世まで財産を持って行けないので、遺族の生活を守るために、残された財産をその亡くなった人と親しい人に承継させていくため、法律によって定められたのが「相続」です。
受け継ぐ人が決められていないと大変
そのため、民法では、承継する相続人を「被相続人(亡くなった方)の一定の身分関係にある者」と定めていて、自分で誰を相続人にするか自由にできるとは、されておりません。
反面、民法には法定相続人や分配方法について、細かく規定があり、財産を受け継げるのが誰かも決められています。
相続制度の変遷
相続の歴史は、いろいろと変遷しているのですが、江戸時代までさかのぼると、昔の遺産相続は、最初に生まれた子いわゆる「嫡子」だけが相続をしていました。
幕府は儒学を勧めて、嫡子の家督相続を正当化し、大名たちを統制する狙いがあったので、政権が安定していました。
また、この時代に受け継ぐ財産は、お金や家だけでなく、地位や家督も含まれていました。このような長男が遺産相続をするという風潮は、今でも根強く名残が残っています。
家督相続制度
その後、明治時代に入ると帝国憲法の下に、「旧民法」ができました。先進的欧州の法律を取り入れながら、政府は富国強兵を目的に、徴兵制、地租改正を進めるための「戸籍制度」を採用します。
ポイント
実は日本の戸籍制度は、6世紀日本書紀の記録までさかのぼります。
その頃から「年籍」(ねんじゃく)や「過去帳」、「分限帳」といった戸籍の機能を果たす帳簿が作られていきます。
明治5年には、国としての本格的な戸籍制度が開始され、「壬申戸籍」と呼ばれる全国単位の戸籍が作られ、現行戸籍の基礎になりました。
戦前までの戸籍は、長男が家や相続財産を継ぐという「家制度」の考え方で作られていましたが、太平洋戦争に敗北すると、GHQの占領政策のもと、「家制度」は廃止され、親子単位の登録に変更になり、「戸主」は特段の権利をもたない「筆頭者」に置き換わりました。
戸籍は、国民一人一人を出生関係により登録する制度ですが、元々は、徴税・徴兵のために設けられました。
現在では、相続人の特定や親族、婚姻における身分関係を証明する手段として用いられています。
その中の相続に関しては「家父長的家制度」のもと、江戸時代の「嫡子による家督相続」を引き続き取り入れました。
つまり、「戸主」が家の統率者であり、長男が家の財産と家族に対する統率権などの「家督」を相続したのです。
現在でも「本家」と呼ばれる慣習が残っている地域も多く、依然として影響力をもっていることも珍しくありません。
平等な相続制度へ
そして、太平洋戦争で敗北すると、個人の尊厳と男女の本質的平等を基礎とする日本国憲法が制定されて、相続制度が大きく変わりました。
これまで長男一人が相続する家督相続から、こども達へも平等に分ける制度へと改正されたのです。
簡単ですが、以上が日本における相続制度のあらましでした。