徳を積むという言葉があります。
日常生活で使うことは、あまりない言葉です。
徳を積むって、どんな意味なのでしょうか。
自分自身、徳とは、漠然と「よい行い」のことで、その人の品性を表すものくらいに思っていました。
何となく宗教的な意味あいが強そうなので、関心を持ちたくない気がして、調べたりもしていませんでした。
ちょっと辞書を使い、意味を調べてみました。
徳を積むとは
徳を積む意味
- 陰徳を積む。人に知られることなく、良い行いを重ねて行うことを意味する語
- 陰徳とは、人知れず行う功徳を意味する
類語 善行を積む。徳行を積む。善行を重ねる。徳積みを重ねる
類語を見ても、意味の説明と一緒に思えます。
他にも色んな表現があるのでしょうけど、調べていくと宗教的な意味合いが色濃く出そうです。
なので、自分感じてきた「徳」について、考えてみました。
徳を積むのは難しい
徳を積もうと、日常から心がけていても、なかなか実践できないと思います。
「徳を積む」という言葉自体が、積んだ後の効果を連想させるので、因果を感じさせます。
だから、自分に何か決意がなければ、徳を積もうと思うことすら、しないのかもしれません。
例えば、何かつらい局面に遭遇して、現状を打破したい時など、試行錯誤している時に、熟慮の上考え出されるのかもしれません。
徳を積むと還って来る
自分のそんな時期に考えていたのかどうかは、はっきりと記憶がないので定かではありませんが、僕の考える徳を積むとは、人知れずのよい行いに限定せず、結果的に自分の評価が高まる行いだと思っています。
おそらく本来の「徳を積む」という概念の、ほんのわずかな部分を、クローズアップしているだけに過ぎないのかもしれません。
それでも、自分で出した考え方や結論は、美しく尊いものだと感じてしまいます。
世間に遙か昔から存在している概念であっても、ついその考え方をオリジナルみたいに思ってしまうのです。
向き合うことに意義がある
そんな簡単に先人達を超えられる訳はないのですが、初めから学ばずに自分で考え出す行為自体は、かなり意義があります。
産みの苦しみで培った経験が活かせるので、色んなことへ応用ができる様になっていくものなんだと実感もしています。
なので、あながち、この考え方も間違ってはいないのでしょうね。
話を戻します。
スピリチュアルでない徳
僕の考える「徳を積む」ですが、簡単に言うといい行いをしていれば、多かれ少なかれ、まわりの人が見ていてくれて、評価が上がり、頼られたり、信頼されたり、助けられたりして、自分にもいいことが返って来ることだと思います。
ただ、その行いも、いいことしている所をあえて見せて、よく思われようなんて考えていると、自分より上手の人間は、世間にどれだけでもいるので、見透かされて逆に利用されてしまう人になってしまうのかもしれません。
日常生活でできる「徳を積む」なんて、たいしたことはできないと思います。
- 人に奢ってあげる。
- ゴミ拾いをする。
- 困っている人を助ける。
みたいな、現実的なことだと思います。
多額の寄付なんかも当てはまるかもしれないけど、自分の身の丈にあっていない行為は違うと思うのです。
意識しない行動
自分のできる範囲内で、ちょっと無理しても、何かその人に喜ばれることを、本音の気持ちから見返りを求めずに動く。
別にニコニコしているだけでもいいと思います。
それで、相手が落ち着いた気持ちになったり、心地よく感じていただければ。
だから、愛想がいいということだけでも、徳を積んでいるんだと思います。
そんな風に、現実的にしか物事を考えられないのですが、見られていない所での行いの方が、自分の考え方や行動の根幹から出るものなので、日々の行動に影響してきます。
自分の行動は自分が見ている
人に見られている、見られていないで切り替えない行いは、一貫とした行動として、自然と自分に表れてきます。
自分の行動を自分が見ているんですね。
それを周りの方達は、そんな自分の日頃の立ち振る舞いや言動から、敏感に感じ取ってくれています。
みんなバカじゃないので、相手がどんな人かなんて、自分の尺度で把握しておきたいものなので、ちゃんとよく見て分かってくれるんです。
分かってくれないときは、まぁ馬が合わないんでしょうね。
なんでも万能なものはありません。
そもそも、見返りを求めないことが前提ですので。
できる範囲内で行動する
こんなこと書いていると、おまえはどれだけ立派なんだよ!って、怒られそうですが、何となくできる範疇ではやれている気がします。
できる範囲でやる...当たり前か。
できる範囲を超えたことは、できませんもんね。
言葉ではうまく言えないですね。
言葉って難しいです。
でも、できる範囲のことを精一杯やっていれば、できることは増えて行きますし、その範囲も膨らんでいくのは、感じています。
きっと、実践しているのとしていないのでは、その人の懐の深さは、かなり違って来るはずです。
懐が深くなると余裕を持てる
俗に「金持ち喧嘩せず」って言いますが、ちょっとだけ、意味が似ているなと思っています。
その人は、それだけ余裕があるからでしょうし、損して得取れみたいなことも、意識もせずに実践しているのでしょう。
余裕があるから、なし得る訳です。
でも、そのお金持ちが、生まれついてのお金持ちにせよ、自分の力でなったお金持ちにせよ、争いごとには得がないことも、自然と分かっているのだと思います。
理論的にも感覚的にも。
まとめ:徳を積むと得を積める
徳を積むの意味をそんな風に考えていますが、やっている内にいいこともあったし、何しろその行為自体が、自分にとって気持ちがいいので、これからもやれることはやっていこうかなと思っています。
徳を積むと、得を積めそうです。
でも、何かを求めて行動することは、徳を積んでいることにはなりません。
想いやる気持ちが、何ごとも一番大切だと感じます。
最後ダジャレになっちゃいましたが、本当にそうですね。