エッセイ

相続と自分にとって大切と思える人の為にできるだけの事をしたい話

 人は必ず死ぬので、だれにでも相続が発生します。僕の両親も既に10年以上前に亡くなっているのですが、一人っ子だったこともあって相続で苦労した記憶がありません。兄弟がいる方は、誰しも色んな想いがあるから 分配方法とかを決めなくてはいけないのも大変なんだろうと思う。


 ふと、先の事ではあって欲しいですが、自分が死んだ時の事を考えてみると子供達はどうするのか心配になる。世間一般の順番的には妻より自分の方が先だと思うので、たいしたものは遺してやれませんが、一度に子供達へ受け継がれずに、まずは妻そして子供達へと2段階で承継されるかもしれません。


 自分が死ぬ間際の状況や遺された方達の状況で、相続を受ける側の遺産が必要になるかならないかも変わって来るから難しそうです。でも、この先どうなるかは分かりませんが、自分もみんなも気持ちで物事を決める事ができればそれが正解なんでしょうね。


 誰でももらえる物はもらいたいと思います。でも、そこに色んな要素が関わって来て一概に決める事ができない。遺言を残して決めてあげても揉める家庭は揉めると聞きます。どんなに平等に扱おうとしても性格の違いや出来不出来、進路進学、就職結婚といった人生の岐路でしてあげれる事は、どうしても差が出てしまうと思います。


 ただ、それを受ける側が素直にできるだけの事はしてもらったんだろうなぁって思える様な親子関係でありたいなと思います。それには、親側も頑張らないといけません。先の事を心配するよりも今をまず大切にしていけば、きっと上手くいくと信じていますので、少し先だけ見て頑張ろうかな。


 僕の判断基準の1つとして、自分にとって大切と思える人の為には、できるだけの事をしようと考えています。そういった自分にとって大事な心の欲求に応えて行った方が、満足できる結果が多かったので経験則としてこの考え方に至ったみたいです。自分事ですが。

 

 回りくどいこと言ってますけど、方法論は違えども自分にとって納得できることをするという意味では、みんな同じだと思います。

 自分が逆境に立った時にもこんなのんきな事を言っていられるかは分かりませんが、自分の軸足にはしておきたいですね。決断しなくてはならない時期を待つ前に、先に自分からどんどん決断して、行動を起こして行くことができれば理想的ですが、なかなかそんな立派にはなれませんので、自分が大事にしている判断基準から逸脱しないで自分の心が欲するままに生きて行ければ、満足できそうです。

 

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