エッセイ

お墓の存在理由は残された者の生きる拠り所|供養する気持ちが大切

2020年3月21日

 最近テレビを見ていると墓じまいという言葉が聞こえてくる。特集が組まれていて、墓じまいをする人たちを取材してその一部始終を放送していた。


 墓じまいとは文字どおり墓をしまっちゃうことで、墓石を撤去し、たいていが賃貸であろう墓石の底地を返却し処分することです。墓地や埋葬を自由にできることにしておくと、人の死に深く関わる部分なので混乱を防ぐため、宗教的観点や感情面からも支障なく行われるよう法律で規定されています。


 墓地埋葬法は正式名を「墓地、埋葬等に関する法律」といい昭和23年に制定されています。なので埋葬、墓の移転、承継、等に決まりがあって許可が必要な場合もあります。でも、なにしろ法律が古いので、その時に想定していなかった事象も発生しており、大きな「家」の時代から核家族や個人へと家族体系が変わっているのもその一例で、家や個人を超えた共同墓や樹木葬といった従来にないお墓や埋葬方法に対応できていないのかもしれません。


 墓じまいの態様により届出や許可が必要になるのですが、日常では早々に遭遇することもない手続きなので、墓じまい代行業者も増えているみたいです。終活も含めた周辺業務にも取り扱っているようで、何でもビジネスになるんですね。

 

 「死」ということに関わる部分があるので忌避的な感情を抱いてしまうのですが、そもそも人のニーズに応えることが商売の基本だと思うので、お役に立っているサービスだと思います。中学生の頃に歴史の授業で縄文時代の墓が出土されている事を勉強した記憶があります。同じ人間である以上、死生観は当時から持っていたんでしょうし、動物でさえいつもそばにいてくれたご主人がいなくなると寂しがります。そんな残された者達が、個人を儚んで執り行う行為が葬儀で会ったり、お墓なんだと思いますが、当然これから生きていく残された側の為の儀式であることは間違いないと思います。

海外も墓はもちろんあります。 日本では馴染みが薄いですが、廟に祀られている偉人は神様みたいな存在になってますね。


 亡くなったことを親類知人や地域に知らせるため。突然いなくなることによって死の意味を理解し、生きていることの大切さを学ぶため。家族親類の絆を深めるため。葬儀には色んな役割があります。数年若しくは数十年会っていなかった友人や親戚と再会することも多々あって、同じ想いになるからか、通夜の後に飲みに行くことも珍しくありません。


 僕の両親はもう10年以上前に他界しているのですが、自分にとっては衝撃的な出来事でも通夜葬儀初七日が終わって会食をしていると、話の流れで笑みがこぼれるような会話をすることもある。悲しがってばかりでは生きていけないので、そういう構造にちゃんと作られているのだろう。知人の親が亡くなったような通夜や葬儀でも喪主とその場で笑って会話することもある。不謹慎なようにも感じるけど、当人の死以外の話ならそういうことも多々あるし、故人の昔話で過去のエピソードを話し合いながら笑いあうこともある。感情って難しい。それに気丈振る舞っておられるからか、逆に明るく話しかけてくれる喪主の方もいる。自身のバランスを保つのも大変なんだと見ていても感じました。確か僕もそうしていた覚えがある。


 自分は宗教に関心がないのですが、やっぱり葬儀の時から今日に至るまでの供養の方法は、家の宗派の宗旨を大事にしてしまう。そんでもって墓参りや月命日も大事にしてしまう。それが自分への癒やしでもあり努めでもあるんでしょうね。


 だいたい亡くなった後が忙しすぎる。葬儀屋の手配。お寺へ連絡。宗派で内容が違うけど通夜、葬儀での諸儀式。火葬場。初七日。埋葬。役所への届出手続き。保険。相続と悲しんでいるヒマがない。全部必要な事ですが、忙しいからかえっていいんでしょうね。悲しみを紛らわせてくれますから。

 亡くなって何年も経つと正直な話、墓参りめんどくさいな~、墓の掃除めんどくさいな~、墓に名前彫ってないな~、お金かかるな~とか思ってしまうこともしょっちゅうです。育てて大きくしてもらったのに不謹慎極まりない。思うだけでちゃんとやりますけどね。


 今社会に存在している習慣、風習、仕事等々は、意味があって続いているのだと思います。ただ目の前のことに流されて、こなして処理していくよりもその時その時を大事にしながら、意味を感じて生きていければ、きっと時間が過ぎて振り返ったときにやり残したと感じることが少なくなるような気がします。まじめに生きているつもりでもしょっちゅう手を抜いてしまうので、手を抜く意味も大事にしながら、堅苦しくならない範囲で取り組むことにしよう。この文章も堅苦しいですが、自分がいいと思えれば、それでいいのだ。

有名人のお墓を訪ねるのは、故人の偉業が分かりますし、観光気分にもなりますね。観光ですけど。

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